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神奈川大学は1928年、米田吉盛氏(当時30歳)が立ち上げた「横浜学院」を発祥とした。それ以後、名称を「横浜専門学校(旧制)」、戦後に「横浜大学」の名称をめぐる、壮烈な大学間駆け引きの中で「神奈川大学」に名を変え現在に至った。

途中、神奈川大学は学園紛争など長く混乱の時期が続き、内ゲバ事件や大学間闘争で多数の負傷者が出たと聞く。その混乱は1990年代まで続き、大学祭の中止や大学の積極的打開策で、この嵐は収まった。

現在スクールアイデンティティの普及を目指すためか、日本史で「神奈川大学の歴史」を講義展開しているが、神奈川大学は一体なんだったのか?これからの神奈川大学はどこへ向かおうとしているのか?学生の立場ながら検証してみたい。


1928 04-横浜学院誕生
12-横浜専門学校認可申請
12-横浜学院移転
1929 04-横浜専門学校誕生
(第一部商業理財科/第二部法学科/商業理財科)
08-横浜夏期大学(公開講座)開催
1930 04-第一部法学科設置
05-横浜専門学校六角橋に移転
(以後現在に至るまで変わらず)
1931 03-第二部第1回卒業式
05-第1回横専祭開催
(現在の神大フェスタの原点になる)
1932 03-第一部第1回卒業式
04-横浜専門学校校歌制定
10-大講堂竣工
1933 12-給費生試験開始
(現在の充実した奨学制度の先駆けとなる)
1934
1935 02-「大和魂会」結成
04-校則/制帽/校章などを改正または変更
1936 03-林校長司法大臣に
1937 03横専同窓会創立集会開催
07-横浜専門学校防護団結成
1938 02-校則改正
05-宮面が丘にグラウンド新装
09-防空訓練を実施
10-運動会不開催
1939 04-工学三科新設(機械/電気/工業経営)
05-創立10周年記念祭を開催
1940 03-本館校舎改築
1941 10-横浜専門学校報国団結成
12-繰上げ卒業式
1942 04-米田吉盛、衆議院議員に当選
09-農村へ援助出勤
09-繰上げ卒業式
1943 05-創立15周年記念式典開催
07-連日勤労動員
11-出陣学徒壮行会開催
1944 01-全学年、午後の修練正課とする
04-高等商業科を経済科、貿易科を東亜科、法学科を法政科に変更
1945 05-空襲により校舎の一部焼失
08-日本敗戦により第二次大戦終結
09-占領軍に校舎接収
09-東亜科を貿易科に改称
09- 大倉精神文化研究所と旧制横浜第二中学校で授業再開
11-報国団を校友会に改組
12-校舎接収解除
1946 02-六角橋の校舎へ復帰
03-同窓会大会開催
04-校則大幅改正
04-戦後第1回卒業式
08-夏季特別講座開催
10-復活第1回創立記念学生祭開催
12-横浜専門学校新聞創刊
(現在のJINDAI STYLEの原点か)
1947 01-男女共学実施決定
01-横浜専門学校教職員組合結成
04-第二部貿易科新設
04-米田吉盛衆議院議員当選
06-復活第2回創立記念学生祭開催
09-林校長公職追放、米田校長に就任
1948 05-横浜専門学校校友会を自治会に改編
07-新制「横浜大学」で設置認可申請
10-新制「神奈川大学」で決定
1949 03-新制神奈川大学の校章/バッチ決定
04-神奈川大学誕生
04-神奈川大学第1回入学式
10-神奈川大学開学記念祭開催
11-社団法人「宮陵会(神奈川大学同窓会)」設立認可

ここまで、神奈川大学の歴史をみてきたが、戦前は軍国主義真っ只中というか、「大和魂」とか「防護団」という物騒な言葉がでてきて、当時の世相を感じさせる。

戦争は社会だけではなく人々の文化や活動をも停滞させた。そのような時代が終わり、新生神奈川大学になった。希望と平和を込めて新しい時代の中を神大は歩み始める事となるが、やがて激動の時代が再びやってくるとは、当時の教職員をはじめ多くの皆さんは思っても見なかったであろう。

参考資料::「神奈川大学70年のあゆみ」より

この時代を彩った用語::

五専門:横浜市内には大学(当時の大学令でいう大学)は存在せず、国立二つ市立一つ私立二つの五大専門学校があった。横浜経済専門学校・横浜工業専門学校(現在の横浜国立大学)、横浜市立経済専門学校(現在の横浜市立大学)、横浜専門学校(現在の神奈川大学)、関東学院(現在の関東学院大学)である。これらの大学は現在も経済学や分野の学問やスポーツなどで緩やかな協力関係を持っており、現在においても21世紀の神奈川を牽引する大学である事は変わりない。

横浜大学:戦後横浜総合大学構想の名の下に五専門が合併する動きが見られたが、後に立ち消えに、その後、これらの旧制専門学校は相次いで「横浜大学」の名を巡って激論となる。関東学院、横浜専門学校はその後、この論争から離れたが、国立と市立の両専門学校は最後まで名にこだわり、横浜国立大学・横浜市立大学となった。

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